ペルシャ陶器の疑問。 > kuu
「ペルシアの陶磁器」というお題目の講座に出かけました。
この講座を楽しみにしていたんです。
珈琲を飲む容器として、紙コップやスチロールは最低。陶器がいいよ、いや磁器がいいよ、という話をしてたところでした。
ところが、実際の講義内容は「ペルシア陶器の歴史」でした。9世紀から18世紀頃までの、支那(中国)のまねをして発展していったペルシャの陶器について。
ペルシャでは陶器は作られたけど、磁器は作られていなかったんです。
どうして磁器が作られなかったんでしょうか。
という、おっちゃんの素朴だけど(たぶん)重要な質問に的確なお答えはいただけなかったなあ…。
磁器の材料は豊富ではなかったにしろあったはず。
磁器を焼くのに対応した窯が作れなかった? 技術は輸入できたはず。
窯は作れたけど、長時間焼き続ける燃料が不足していた? 必要ならば燃料を輸入できたはず。高価格がネックで一般大衆品には無理だったとしても、王族のためなら可能でしょう。支那の磁器を高級品としてありがたがっていたのならば自国で作る道が開けてもよかったのではないか。
どなたか、ご存知でしたら教えてくださいませ。m(__)m
きょうは義父の命日でした。
おっちゃん撮影、空のグラス。
「珈琲を語ろう」、更新しました。
一般店で手に入る低価格な材料を使って簡単な加工で焙煎機を作っちゃおうという製作レポートが始まりました。
おっちゃんのブログ、あっちゃこっちゃに話題が飛んでます。
フライパン焙煎の続きが読みたかったなあという人は、直接おっちゃんに意見を言ってくださいね。(^_^;)
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コメント
磁器のことは分からなねぇ~が、グラスに反応してしまった姫です。
kuuちゃん、おっちゃんは何をそぞく?
姫は、昨夜日本酒をグラスにそそいでみました。氷を浮かべてね…。深いねぇ、空のグラスは。
投稿: 姫 | 2005.11.05 22:21
◆姫!早いっ!
kuuはペリエ。おっちゃんは水かな(笑)。
姫んちは酒とか酒瓶とかグラスとか飲み屋とか、おつまみのうまげな写真、多いよね~。(^_^;)
姫が飲みすぎないよう監視しますっ! (。・_・。)ノ
投稿: kuu | 2005.11.05 22:31
kuuさま、
はじめまして、私的珈琲手帖のロデムと申します。
これからもよろしくお願いします。
ご主人様のブログの方には何度かお邪魔させて頂いています。
こちらの方のBlogPeopleのなかに私のブログも加えて頂きましてありがとうございます。
さて、何故ペルシャで18世紀頃まで磁器の製造が出来なかったか?という話ですが、
やはり当時のペルシャには磁器を焼くだけの高温釜を作れなかった、
というのが理由ではないでしょうか?
ドイツでも磁器の製造は1709年のマイセン以降ですし、
明朝、清朝にとっても当時外貨獲得の為の重要な輸出品ですから、
いくらペルシャの王族の頼みでもおいそれとは技術(者)の輸出、伝播はなかったのではないでしょうか?
当時は金と同じ価値のあったものですからねぇ、
ザクセン王フリードリッヒ・アウグストが軍資金作りの為に、
錬金術師ヨハン・フリードリッヒ・ベドガーに命じ(幽閉して、強制的に)作らせた磁器がマイセン釜の始まり、というのは有名な話です。
トップシークレットだったのですね、、、
投稿: ロデム | 2005.11.06 10:23
◆ロデムさん、こちらにもご訪問、ありがとうございます。おっちゃんだけでなく、私もロデムさんのブログを楽しみに拝見させていただいております。
アカデミック~。^^
お教えくださってありがとうございます。
kuuの認識以上に、磁器は貴重品だったのですね。 (・_・) 金と同じ価値とは!
まねの限界というか、ペルシャの人々の民族性も関係しているかもしれませんね。ペルシャの陶器を見ていると、精巧な感じはしなくて、いい意味でのいいかげんさを感じます。絵付けも子供の絵のようにかわいらしかったり。^^
おっちゃんから、追加のお返事があるかもしれませんので、またのぞいてみてください。m(_ _m)ペコリ
投稿: kuu | 2005.11.06 13:34
Kuuさん、
磁器はカオリナイトという原材料を
使わないと焼成できませんので、
おそらくペルシャ近郊には
産出されなかったんでしょう。
それと、当時ペルシャでは日本でも
瑠璃と称されるガラス器の生産が
盛んでしたので(有名なのが
正倉院にもあります)、中国製の
磁器とこれらを交換すればよいので、
わざわざ原材料を輸入する
必要がなかったんでしょう。
ロデムさんのコメントにもある
マイセンもアウエからとりよせた
カオリンをつかってます。
その後、カオリンの代用品が
考え出されフランスで軟質磁器が、
イギリスでボーンチャイナが生まれた
そうです。
参照:http://www5a.biglobe.ne.jp/~PrismNet/howtoCP.html
投稿: nenpiro | 2005.11.06 20:27
◆nenpiroさん、詳しいコメントありがとうございます。m(__)m
実は、カオリナイトはペルシャで産出されたと聞いたのです。その上で、ではなぜ作られなかったのかなあ・・・という疑問でした。
13~14世紀のペルシャで、エジプトとイランでは同じ中国の陶磁器をお手本にしても「まね」の仕方が違ったそうです。エジプトは比較的リアルなコピー商品を多量に製作し、一方イランでは、器形や外面の文様は「まね」ながら一番よく見える内面は自分たちの好み・美意識にあった文様で飾ったそうです。そういう「まね方」の違いは、同じペルシャでも民族や生活や美意識により市場のニーズが違っていたからだろうという説明がありました。
エジプトのやり方の先には、自国での磁器の製造が生まれてもよかったんじゃないか、などと想像してしまったのです。
磁器が作られなかった理由は、技術、材料、価格という産業面の理由だけより、国民性や美意識と言われたほうが面白い気がしちゃいまして。(←無知ゆえ)
浅はかなことを書き散らしてしまってお恥ずかしい。でも、おかげで皆さまにいろんなことを教えていただけます。^^
リンク先のサイト、面白そうですね。
まだチラ見なので、これからじっくり読ませていただきます。
中近東文化センターで現在「ガラスの博物誌展」というのが開催されています。
http://www.meccj.or.jp/Pages/main_frame.html
今回の講座もそれにからみがありまして、先月はガラスのお話を伺うことができました。来週もガラスのお話が聞けるようです。また、いろんな疑問(=愚問)をぶつけてきます。^^
投稿: kuu | 2005.11.06 21:33
kuu さんの日記を読ませて頂いて驚いたのですが、
細見綾子さんという方はkazeさんのお母様なのですね。
僕は俳句の世界はとんと疎いのですが、
検索で調べて見ると細見綾子さんは氷上郡の青垣町の方のようですね。
実は、僕の父は細見綾子さんと同じ青垣町の育ちで(生まれは広島の呉)、
母も氷上郡の柏原町大新屋の生まれなのです。
親の出身地が同じ、というだけの事なのですが、なんだか不思議な気分になりました。。。
追記、
僕はペルシャの陶器の絵付け好きです。
おっしゃるとおり、精巧な感じが無くて、かわいらしいと思います。
特に絵付けの陶磁器は緻密な絵付けより、間のあるものが好きです。
例えば、、、本物の伊万里や九谷よりも魯山人の作ったもの、、
子供がまねて作った様なかわいらしい感じが好きです。
投稿: ロデム | 2005.11.07 03:16
◆ロデムさん、いらっしゃいませ。
珈琲好きは博学が多い。メモメモ^3^
民族的に陶器が好きだったんでしょうね。
国土のほとんどは砂漠、気候も昼間はくそ暑く、夜はえらい寒い。
温もりを感じる陶器のうつわを愛しても不思議じゃないような気がします。
錬金術師ヨハン・フリードリッヒ・ベドガーはガラスの製法は知っていたんでしょうね。
◆ nenpiro さんも博学ですね。
講師の先生によればカオリナイトはあるそうなんです。
ペルシアはヨーロッパとインドや中国、アフリカとの中継点で商業でボロ儲けしたはずなんです。
磁器は貴金属並ですが、ガラスは宝石並です。
中国磁器は異国情緒を楽しんだのでしょう。
投稿: 風茶房の・おっちゃんkaze777 | 2005.11.07 04:08
◆ロデムさん、わお!
似たような血が流れてるのかあ。摩訶不思議也。
人の数より猿の数が多い場所柄ゆえ、バレちゃうよ~。^-^
神戸の珈琲水準は素晴らしいのに、山間部は炭の粉を混ぜたような炭焼き珈琲とか…名物の黒豆をいっしょこたに焙煎した珈琲などがありまする。
水が旨いとこなのにもったいないと思っています。
峠を越えれば福知山、京都風の美味しい珈琲にありつけます。
投稿: 風茶房の・おっちゃんkaze777 | 2005.11.07 04:36
>人の数より猿の数が多い場所柄ゆえ、バレちゃうよ~。^-^
ほんとですねー、
『人口よりイノシシの方が多い』ってよく言ってますねぇ。
僕の名字は青垣では『石投げたら当たる』、くらい多いらしいです。(笑)
母方の祖父も校長先生してた人なので、駅でタクシー乗ったら、
名前言うだけで、
「おー、○先生のとこの○○ちゃんの子かぁー」って住所も言ってないのに家まで行ってくれますね。
投稿: ロデム | 2005.11.07 21:44
◆ロデムさんへ。
あだっつぁんかな。石投げてあたるのはぁ…ハテ?
青垣町は昔、芦田村と言いました。
そのせいか芦田さんも多いのです。
私は帰るときは車です。京都から行きます。
数年前に亡くなった柏原高校卒の叔母は福知山からタクシーでした。
佐治に近いほうなので、車で30分なのです。
親戚にも福知山勤務が多いようです。
投稿: 風茶房の・おっちゃんkaze777 | 2005.11.09 02:04
ドキリ、
これ以上自分をさらすのはよしておきますね(笑)
投稿: ロデム | 2005.11.09 23:49