打毀し。(うちこわし) > kuu
「俳句と写真」を更新しました。ポップアップでは閲覧しにくい方は、ブログ版「俳句と写真」の「言葉は花」をご覧ください。
多かれ少なかれ、「俳句と写真」の更新は毎月、揉めます。
今月は揉め度が激しかったので、kuuは疲れてしまいました。
細見綾子、沢木欣一の俳句とおっちゃん(kaze777)の写真で更新していますので、おっちゃんが積極的に写真を撮ってくれないと続けていくのがむつかしくなります。
俳句と写真のセレクトと、加工とページ作りはkuuの担当です。選んだり、作ったりしてから、おっちゃんにOKをもらうという形式です。上司と部下のような…。
毎月、繰り返すのは、「その俳句にその写真は合っているのか」ということ。
「俳句の説明をするための写真を選んではいけない」と、おっちゃんは言います。「俳句は俳句、写真は写真として独立した作品であり、俳句の説明のために写真を撮っているわけではない」という理屈です。
たまに題材を指定した写真をリクエストしても、腰が重いというか、たいてい嫌がって撮らないのです。無理やり撮ってもらった写真もありますけど、そういうのは出来はどうなんだろーか。
おっちゃんが自由に撮った中で、なるべくいい写真をセレクトしたいというのが、まず思うこと。次に、好きな俳句を載せたいと考えます。
朴落葉少しの風に遠く飛ぶ 細見綾子
少しの風に遠く飛ぶ、と詠った朴の落葉が、朴の木の隣にある杏の木に引っかかった写真でいいのか、と悩みながらおっちゃんに尋ねます。「俳句の情景を説明する必要はない」と言われます。「『少しの風』や『遠く飛ぶ』という言葉に何を思うかは個人の感情や教養によって違うのだから、その意味を狭い解釈で限定するな」と言うのです。
朴の落葉がステキに写っている写真をkuuが選んだのなら、それでいいんだそうです。
【訂正】下線部を追記しました。写真の植物は朴の木ではなく杏(あんず)でした。
石垣の石蕗たくましき寺泊 沢木欣一
石蕗(つわぶき)の花は石垣に咲いてなくちゃ、いけないんじゃないか。花はたくましい感じに見えた方がいいのではないか。昆虫は余分ではないか。と思いながら、好きな写真を前にして悩みます。おっちゃんは言います。「『石垣』はそこに見えている必要はない。『たくましき』という言葉を、どういう意味だと思うか。満開に咲き誇っているのがたくましいのか、虫に喰われても花ひとつ咲かせて生きているところに『たくましき』を感じてもいいんじゃないか」
花八つ手いかに本郷打毀し 沢木欣一
大好きな写真に大好きな俳句です。これは、とても合っていると思いました。
写真の八手の花は本郷の建物(安田講堂)のようにも見えるし、有象無象の学生にも見えるし、ぐんと空に向かっている姿から、いろんな言葉が想像できます。権威主義、若さ、解放、無謀、なんかを感じます。
まとまらないですが、きょうはこんなところで…。
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