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2011年4月の1件の記事

2011.04.30

あの日の記憶。 > kaze777

あの日、徹夜で新聞原稿を書き上げた父が2階で寝ている私を大声で起こしにきた。
「おい神戸がえらい事になっとるぞ。テレビ見に来い! タバコ無いか」
あわてて寝巻きのままテレビのある茶の間に急いだ。
NHKの臨時ニュースが神戸の大地震の凄惨な有様を報じていた。
ところで「神戸の親戚は大丈夫なんだろうか」などと話をしていたら、立川の叔母から電話が来た。
「神戸の叔父さんが電話で『助けてくれ』って、それっきり。何べんも電話してるんだけど通じない。だから行ってきてよ!」
せがれは伊丹の会社にいるんだし、そっちに言えばいいじゃないかと言うたら、「せがれとも電話したけど、『電車動かないし、道路がアカンようで車では行けないし、会社の工場が大変なことになってしもうて、責任のある立場だから神戸には行けない。伊丹から自転車で行くよりもお兄ちゃんにバイクで飛んでもらったほうが早い』と言うとる」
電話をくれた叔母は数年前に寿司を詰まらせてころっと逝きましたけど、東京に嫁がなかったら丹波で代議士になってたはずの女傑で頭いいし弁は立つし、電話でもめても徒労に終わる。まんず言い出したら聞かない。
こちとら会社を経営してたし、店は持ってるし、、、そんなことはお構いなし。「当座の銭は用意したから出がけに寄んなさい」と命令された。

スズキのモトクロスレレーサーRH250を元にしたロードカフェバイクを整備して昼前に出かけた。
夕方、神戸の街の高台に住む叔父宅に到着した。叔父は寝室のベッドで600LはあるGEの超大型冷蔵庫の下敷きになって呻っていた。ビールがいつでも飲めるからと・・・あんなデッカイ冷蔵庫を寝室に置いちゃイカン。
叔父は病院の元院長で整形外科医。こういう時こそ災害救急の役に立ちたかったのにと悔やんでいた。
2~3日で帰る予定だったけど叔父の腰骨は折れていて、なんやかんや手伝って約1ヵ月神戸におりました。

今回の大地震で武蔵野の我が家は2階の非常階段の踊り場に設置してあった深夜電力の温水器が階段ごと落ちかけまして、それに気付いたのは4月になってからなんだけども…、、この連休は撤去工事に当たる予定です。

もはや電気温水器の時代じゃない。今後は太陽熱温水器にします。

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